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アブさんの日本滞在記 その3  

日本の暮らしにも少しずつ慣れて、言葉も多少わかるようになってきた。次に、定期収入を得られる仕事が必須になってくる。 そこでアブさんは同居人のひとりであるSを伴い職探しに出た。その方法がなんとも無謀でのどかでアフリカっぽい。町をぶらぶらしながら、手当たり次第に会社を見つけてはとびこむのだ。アブさんとS、交互に一人ずつアタックする。 いくつもの会社をあたり、脚が棒になりかけたとき、Sはねをあげてしまった。 「もうあきらめて帰ろうよ、アブさん。この辺りじゃ仕事は見つからないよ。」 しかしアブさんはしぶとかった。 「次は私の番だから、もう一回頑張ってみる。」 と言って、とび込んだのは株式会社Fという看板を掲げた工場だった。 「こんにちはー。」元気よく入ってゆくと、30代後半と思われる女性が出てきた。 「なんでしょうか〜。」 訝しげにアブさんはを見た。 「仕事ありませんかー。」 だめもとでひとこと。 すると女性は少し考えていたが、 「ありますよー。」 答えたのだ。 「どちらの国の方?」 「スーダン。アフリカのスーダンです!私ともう一人友だちがいます。いいですか?」 「できれば数人欲しいんだけど。」 女性の思いがけない言葉にアブさんは叫び出したい気持ちになった。 「はいっ!。5、6人ならゼッタイだいじょうぶです!」  自信満々に言った。 この吉報を持って外で待機していたSに伝えた。 「仕事あったよ!私たちみんな働けるんだ。アルハムドリッラー。」 執念の仕事探しは成功して、その後10数年もの間Fという会社は日本に来たスーダン人が最初に働く場所になったのである。

アブさんの日本滞在記 その2

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仲間に助けられての日本の暮らしは続いていた。衣類はもっぱらどこかの古着屋で調達することが多かった。安くてサイズぴったりのジーンズが見つかり履いていた。 ある日、腰のあたりが痛かゆいなと思っていると、その不快感は日増しにひどくなり、皮膚が化膿して出血してズボンにまで染み渡るほどになってしまった。生まれて初めての出来事にアブさんは恐れおののき、仲間に付き添われて病院デビューした。 診察を終えた医師は何か説明していたがやっぱりわからない。とりあえず処方された薬を塗り、絆創膏を貼って様子を見ることになった。 アブさんが家で休んでいると、心配して訪ねて来た友だちがアブさんの患部を見るなり顔をしかめて言った。 「アブさーん、これひどいよー。これエイズだよ、きっと。」 これを聞いたアブさんがまに受けて打撃を受けたのは言うまでもない。 アブさんはショックのあまり数日間寝込んでしまった。はるばるやって来た日本で、何も得ていないうちに、自分は死ななければならない。哀れな自分を思い、布団の中でおいおい泣いていた。 やがて薬が効いてきて数日後にはほぼ回復した。アブさんはエイズじゃなかった!アルハムドリッラー。 しかし、彼はそれ以来どんなに貧しても古着を身につけることはしなくなった。 (古着と皮膚病との因果関係は不明のままだが)。 続く…  【 散策 神社へ向かう道の枝垂桜は満開を迎えて】  

アブさんの日本滞在記 その1

アブさんが初めて日本の地を踏んだのは1993年5月のことだった。もちろん日本語はひとこともわからず、日本という国についての予備知識だって皆無だったが、すでに来日していたスーダン人仲間をたよりに新しい生活に飛び込んだのだった。 アフリカからやってきたアブさんの1番の苦手は日本の冬である。初めて迎えた冬のある日、数人の友だちと同居していたアパートに1人でいたアブさん。初めてひとりで外出してみた。と言っても寒すぎて数十メートル先の角までがやっと。 ふと見ると飲み物の自動販売機がある。日本ではどこにでもあるが、スーダンでは見たことがなかった。身を縮ませながら珍しげに見ていると、通りがかりの警官が彼のところに近づいてきて何か声をかけたのだ。 を言ってるかわからないアブさん、これは不審尋問されてると思い身構えた。するとこの警官はポケットから小銭を出して缶コーヒーを買い、それをあぶさんに差し出したのだ。びっくりしたりほっとしたり、アブさんはその温かいコーヒーを両手で包みながら頭を下げた。初めて触れた日本人の優しさだった。そしてぬくもりだった。アルハムドリッラー。 つづく…