第六回目のお話 スーダンからの電話  その1

スーダンにいる主人からの電話によってリアルタイムでの首都ハルツームの様子をうかがい知ることができる。

このところ"パン屋の行列''の話題が多い。毎日、パンを買うために何時間も並ばなくてはならないらしい。日本のようにどこどこの何々パンとかいう人気商品を求めてでなく、何の変哲もないコッペパンに似た、たった一種類のパンなのだが、これがなかなか手に入らない状況なのだという。( 政情不安で物価の高騰が止まず、小麦粉自体も品薄が続いているらしいが、本当の理由を私は知らない)

先日も主人はその行列の中から電話をくれた。やっと順番が来たと思いきや主人の前の人でちょうど売り切れてしまった。落胆しつつもしかたないので、また別の町に行きパン屋を探すと言う。パン争奪戦…これが日常だ。

今の日本にいれば想像することも難しいスーダンの光景だが、私はこの話を聞くたびに、満たされ過ぎた日本の食文化の中ですっかりぼやけた頭が一瞬にして冴え渡るのを感じる。自分が世界の中心ではないことを再確認できる。圧倒されたような、言葉にできないような感覚に襲われる。一体なぜだ?

家族のために糧を得るためだけに何時間も灼熱の太陽の下で並び待つスーダンの人々の姿が、その行為そのものがすごくシンプルで、力強くてあたかも崇拝行為の如く私には映るからかもしれない。

もっとフワフワしてて、とろけるくらいクリーミーな上質パンを求めてでなく"生"のためにだけ糧を求めている彼らを私は少しだけうらやましい。

そうやってゲットしたパンを抱えて家路に着く。待ちわびていた家族と共にほおばる一口のパンの美味しさは格別だろう。

日本人にはわからない彼らだけに神が与えた"恵み"がそこにはある。

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