試練のときに

生きていればさまざまな問題に出くわす。もしひとつの問題から逃れたならば、あなたはまた次の問題に襲われる。おおきなできごと、小さなできごと、心を引き裂かれるような、どうしようもないできごと。それらはあなたが死を迎えるまで終わらない。

この世で人間に降りかかる試練や苦難はすべて神がずっと以前にお決めになったことが、お決めになったときに、お決めになった人間にやってきているにすぎない。そう、私たちにはその配達物を日時指定にすることはできない。受取拒否も転送も無理。

それならば、受け取り手の私たちにできることは何だろうか。

本来、良いことも悪いことも全ては神からのものだが、人間に起きる悪いこと(自分にとって辛く苦しく感じること)は、自分自身の罪ゆえなのだという。

その意味は、私たちの心を器に例えるなら、神が注がれる水がよく磨かれたガラスの器に入れば、その水の透明度は保たれる。が、もし初めから汚れた器に入れば、その水は濁って悪臭さえ放つ。日頃から自分の器をより透明に近づけるような心がけは大事であろう。

試練の中にいるときは、あなたに心の余裕があるなら、100パーセントの解決などないということ、5パーセントでもベターと思えることに体を向けることを考えてじっと堪えることが良いと思う。もし、あなたになんの力も残されていないときは、ただしゃがみ込んで待つこと。しゃがみ込まないと見えない景色もきっとある。

そして忘れないで欲しい。全ての問題は必ず終わることを。背負い込んだあなたの荷物の分だけ神はあなたを愛しているということを。

憂に満ちたその横顔には神の恩寵がすでに見え隠れしている。

だから大丈夫…。

コメント

  1. ありがとうございます!そうなんだよね。大丈夫なんだよね・・・ こう思うとやっぱ試練はいやなものじゃなくなるね。他の人から試練という言葉を聞くとすごく負のイメージがするんだけど、カウサルさんの言う試練は好きです。

    返信削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

第12回目のお話 ミツツボアリ

アブさんの日本滞在記 その4