昭和下町物語 その3
記憶の中のちょっぴり切ないエピソードを拾ってみた。
昭和30年代から盛んになった集団就職。中学を卒業したばかりの男女が集団で列車に乗り郷里を離れ、東京などの都会にある商店などにそれぞれ就職するのである。我が家にも東北出身の若者が二人住み込みで働いていた。そのひとりであったS君はうちに来た当初、店にあった売り物のアイスクリームを悪びれる様子もなく勝手に食べていた。気づいた母がS君に注意してそれは止んだ。
夕食後、茶の間にあったテレビのチャンネル権をいつも奪おうとするから私は母に泣きついた。母が諭してからそれは止んだ。私の愛猫タマをいつもいじめるから、タマは彼を見るなりシャーッと威嚇してから疾風のように逃げて行くのだった。やんちゃなS君。私より九つ上の姉とは同い年だったが、実は彼女に密かに思いを寄せていたことが後に分かった。姉の結婚が決まってから程なくして傷心のS君は店を辞めていった。
いっとき習字を習わされていたことがある。
近所にあった町工場の2階がお教室だった。そこは3畳ひとまに小さな台所だけの質素な住まいでH先生(年齢は30代終わりくらいで、眼鏡をかけた少し天然パーマの小柄な男性) は、共働きの奥さんと二人で暮らしていた。夕方奥さんが帰ってくると晩御飯の準備をする。その部屋で私はもう一人の生徒だったK君と習字を教わった。
ある日、先生は顔を赤らめながらパスポートを見せた。「僕たち沖縄旅行に行くんです。お金もドルに変えなきゃ。外国旅行なんだ。」と得意げに話した。奥さんはニコニコして聞いている。K君と私は、うまいあいづちの仕方がわからなくて、黙って聞いていた。
その旅行は新婚旅行だったのかもしれないと思った。
小学校へ入る前によく遊んでくれた三つか四つ年上のゆみちゃん。面倒見の良い女の子で、自分の小さいおとうとたちのこともよく可愛がっていた。優しくてお姉さんぽくて笑顔が可愛らしい子だった。裏の古いアパートに住んでいたが、お母さんの姿は見たことがなかった。時たまお父さんに叱られたと言って、暗くなった頃外に出されて泣いていた。どんな家庭の事情があったのか私にはわからないが、いつの間にか何も言わずに引っ越していった。
もう二度と会うかとはないけど、この人たちがこの世に生きてた証はしっかりとあの頃...
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